choro note
▼「あと3ヶ月死への準備日記」・(T)(文藝春秋 9月号)
『がんを告白し逝った科学者が遺した感動の記録』
戸塚洋二氏(ニュートリノの研究でノーベル賞に最も近いといわれた物理学者)のブログのなかから
【死の恐れを克服するには】
「期限を切られた人生の中で何を糧に生きればよいのか」と題して戸塚氏は
ご自分の死の恐怖について次のように記している
○ 我々は日常の生活を送る際、自分の人生に限りがある、などということを
考えることはめったにありません。稀にですが、布団の中に入って眠りに
つく前に、突如
・自分の命が消滅した後でも世界は何ごともなく進んでいく
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消
えていく
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対にできない、
ということに気づき慄然とすることがありま
△ 私はまだ余命宣告をされていないせいか、寝る前に難しいことは考えてい
ません。何も気づいていないのです。たまに自分の人生を何かの拍子に川の
流れに浮かぶあわのようなものではないかと思うときはありますが・・・
○ 固体の死が恐ろしいのは、生物学的な生存本能があるからである、といく
ら割り切っても、死が恐ろしいことには変わりがありません
△ 死が恐ろしいのは生存本能があるからでしょうか?「執着心」があるから
ではないでしょうか、「執着心」を断ち切ったらどうなるのでしょうか、
「執着心」は断ち切れるのでしょうか
○ お前の命は、誤差は大きいが平均値をとるとあと1.5年くらいかといわれた
とき最初はそんなもんかとあまり実感が湧きません。しかし布団の中に入っ
て眠りに着く前、突如その恐ろしさが見にしみてきて、思わず起き上がるこ
とがあります。
うえに挙げたことが大きな理由です
○ 上の理由を卑近な言葉で置き換えると、「俺の葬式を見ることは絶対出来
ないんだ」というこことになりますか。こんなバカなことを皆さんお考え
にならないでしょう。しかし、残りの人生が1、2年になると、このような
変な思いがよく浮かんできます
△ 膵臓がんの5年生存率は10%といわれても、今だに自分はその10%に入れる
ような気持ちで毎日暮らしています。余命いくらと宣告されないと死とい
うものを真剣に考えないのでしょうか、イメージ力が乏しいからでしょうか
○ 残りの短い人生を以下に充実して生きるかを考えよ、とアドバイスを受け
ることがあります。このような難しいことは考えても意味のないことだ、と
いう諦めの境地に達しました
私のような凡人は、人生が終わることという恐ろしさを考えないように、気
を紛らわして時間を送っていくことしかできません
死までの時間を過ごさなければなりません。どんな方法があるのでしょうか
・現役なら、仕事が気を紛らわす手段になる
・引退したら、何でもいいから、気を紛らわすことを見つけて時間をつぶすこ
とだ
・死が近づいたとき、むしろ苦痛にさいなまれて(短時間で勘弁して欲しい)
もう早く死がきてほしいと言う状態になったほうが、むしろ楽だ。見取るほ
うは大変だろうが
・自殺は考えない。簡単に負けるのもいやだ
お恥ずかしいことですが、とても有意義な人生を最後に送ることとはかけ離
れています
△ 自分にとって何が有意義なことなのかよくわかりません
その日その日にやりたいことがあって、寝るときに「今日もやったなー」と
思いなが ら寝入っていければそれでいいのではないでしょうか
そんな毎日を生きていくことが残された人生を生き切ることにつながってい
かないでしょうか
2008.11.19:choro
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