choro note

▼「老いはスキャンダル?」

先日の日経新聞に東京大学教授 上野 千鶴子が老人に関して「エイジングとポストモダン社会」と題してシリーズで述べていた

「老いはスキャンダル?」
今の社会では老いることがそのまま悪となる。だから人々は老いに直面することを避けたがる、老いを不認し、若さの価値を称揚する

この認識はすべての社会に通用していた認識だろうか?
そうではなかったということを「比較老年学」は教えてくれる
「比較老年学」によれば、老人の地位は下記のような状態の時に高くなっている
@ 近代化の程度と反比例の関係にある
A 人口の高齢化が低いほど
B 定住の程度が高いほど
C 文字を持たない社会ほど
D 大家族であるほど
E 財産の所有権をもっているほど
● Cは論外とすれば他の項目は老人の地位を低くさせるように変化してきているといえそうです
だから日本の老人の地位はさがってきているのでしょうか

さらに続きます

敗戦までの日本はそういう社会だった
菊と刀を書いた文化人類学者のルース・ベネディクトは、人生の「自由度曲線」が日米で対照的あることを述べている

アメリカ − 成長するに従って責任とともに個人の自由度が高まる
       子どもと老人は無力な存在として制約を受ける
       老人たちが老いを受け入れたくないという気持ちを持つ

日本 −   子どもと老人が自由度の極致にあって、成人期は義理としがらみに拘束され責任ばかり重くて自由のもっとも少ない年齢
       子供達が「大人になんかなりたくない」と思う

○この日米の違いは文化差などではなく、歴史の時差だったことが戦後に判明する
○未曾有の近代化、アメリカ化、経済成長の過程で、日本の高齢者の地位は急速に低下していった

● 眼からうろこが落ちるような納得はいきませんが、なんとなくわかります
そういわれれば、戦前のお年寄は今のお年寄りよりも社会的に地位が高かったような気がします

でも世の中変ってしまったのです
「老いはスキャンダル」でないと認識して生きていくためには、お年寄りは自らの力で自分の地位(居場所)を切り開いていかなければいけないのですね
従来のお年寄りのような、ゲートボールや孫ころがし、物見遊山だけでは心もとないのです

 「新アフター定年文化」創りを目指して一人ひとりが模索していく時代なのかもしれません
「老いはスキャンダルでない!」といいきれるために




2008.09.08:choro

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