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【転職成功物語5】紹介は出来なかったけれど(Eさんの場合)

20代女性のEさん。
大学卒業後、東京にでて働いてましたが、今年の夏、山形に戻ってこられました。
私とのやり取りから自分の行く道を再考し、地元の役場の公務員試験をうけ、見事合格されました。来年4月からの勤務に備えて、いまは準備といったところのようです。
Eさんから素敵な転職成功物語をいただきました。きっと、参考にしていただけると思います。
どうぞご覧ください。

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私の転職までの道のりは計画的とは言えず、
本当に運が良かったの一言に尽きます。
しかし、原田さんとの出会いから再就職決定までの期間は、
これまでの働き方を振り返ったり、
自分がこれからどのような人生を歩みたいか、など、
今までの中でもっとも、自分自身との対話をした期間でした。

原田さんには、私の希望などを汲み取っていただきながら、
山形県内の企業をご紹介いただきました。
結果的に、ご紹介いただいた企業さんへの転職とはならず、
来春からの町役場へ再就職することとなりましたが、
原田さんとの面談や職務経歴書作成を通しての
数々のアドバイスを面接で活かすことができ、本当に感謝しております。

再就職決定までを、時系列で振り返りたいと思います。

私は高校卒業とともに実家を離れ、
大学卒業後メーカーに就職しました。
Uターンを本格的に考え始めたのは、就職後3年が経った2007年の1月頃でした。
以前から、いずれは実家の近くに戻ってきたい、
実家の近くで子育てがしたいな、と思っていましたが、
祖父母が老いていく姿や、介護をしている親の姿を見て、
早く地元に帰りたい、という思いが強くなっていたのです。
また、会社では、自分の今後の見通しが考えられなくなっていました。
新卒で入社した会社では、3年間販促ツールの制作に従事し、
一通り仕事を任され、信頼も得ていた(と思う)のですが、
このままではツールだけの人になってしまうのでは、
という危惧を抱きながらも、作業に追われる日々が続いていました。
そして、3年目に入った頃から、違う仕事にチャレンジしたいと思い、
異動の希望を出していました。

~2007年2月~
有名な転職サイトを見始めますが、
首都圏の情報に比べ、東北の求人情報があまりに少なく、
若干の衝撃を受けたのもその頃です。
身近にUターン転職者がいないため、
どうやって探したら良いんだろう?と手探りの時期でした。

~2007年3月~
東北地方中心の転職サイトを探している時、
キャリアクリエイトのサイトと出会いました。
私はすぐさま原田さんに連絡し、「Uターンの勘所」を読みました。
“転職のためのUターンか?Uターンのための転職か?”については、
私の場合は、“Uターンのための転職”という考えが強かったのですが、
私のUターン願望が一時の衝動的なもので、
動機が漠然としているような気がしたのも事実です。

その後原田さんと数回メールのやりとりをし、
たまたま帰省することになった時に、
米沢で原田さんとお会いしました。
小学校の校長先生のような方だな~、という印象を受けました。
その時は、女性の場合は年齢が高くなる程Uターン転職が厳しくなる、
(働き口がないこと、都市との賃金格差が大きくなること、など)
というお話をしていただいた覚えがあります。

また、Uターンによって得ること、失うこと、を挙げてみてください、
そして、得ること(メリット)が失うこと(デメリット)を上回れば、
Uターンしても大丈夫でしょう、という話をしていただきました。
仕事の環境、私生活など色々な面で、東京と山形、を秤にかけ、
その時は確信は持てなかったものの、
山形に帰った方がメリットは大きいと思いました。
しかし、頭で考えるのと実際生活環境が変わってからの実感は違うもので、
正直、山形に帰ってきた直後は、
あまりにものんびりした環境に私はなじめるのかと、不安になりました。
(今はもう大丈夫ですが。)

そして、入社から今までの仕事の内容や、
今後どのような業界、職種に就きたいか、というお話をしました。
業界・職種に関しては、漠然としたイメージしか抱いていませんでしたが、
仕事上、お客様にとって身近なツールを作っていながら、
滅多にお客様に接する機会がなくもどかしさを感じていたので、
現職を活かしつつ、お客様との接点に立てる仕事、という希望を持っていました。
また、当時私は2人の後輩の指導もしているというお話もしたところ、
原田さんからは、どんどん下を育てて、新しい仕事にチャレンジして
自分の経験を高めていくように、とアドバイスをいただき、
それが、その後の自分の仕事の仕方を見直す良いきっかけとなりました。

~2007年4月~
履歴書・職務経歴書を作成し始めました。
転職サイトなどで参考例を見つつ作成していたが、
どうまとめてよいのやら、要領を得ず、
やみくもに仕事内容を羅列しただけの、
今振り返るとため息が出るようなものでした。
原田さんには、何度も何度も添削していただきました。
ブラッシュアップするにつれ、自分でも、社内外の人との関わり方や、
今までの経験の中で、自分にとって成長を実感できた出来事は何だったのか?、
仕事を進める中で自分が重要視していることは何か?など、
見過ごしていたポイントが徐々に見えてきて、
原田さんからは、徐々に、私の仕事場での様子が見えてきましたね、
と言っていただけるようになりました。
そして、転職に向けて、自分が出来ること、したいこと、
仕事をする上で譲れないポイントなどが見えてきて、
仕事へ取り組みに変化が起きました。
この時に十分頭を整理することができ、
面接にも大いに役立ちました。

この頃、漠然と「引継ぎ」を意識し始め、
初心者でもわかるツール制作の手順や
スケジュール管理法などをまとめながら、
手がけている仕事重要ポイントや無駄が見えてきた気がします。

~2007年5月~
ゴールデンウィークに再び帰省し、家族と相談し、
会社を辞める決意をします。
そして、上司と面談をしていただき、退職の意向を伝えました。
退職時期については、当時担当していた商品が8月発売であり、
6月末頃に一連の業務が落ち着くことから、7月末と設定しました。
転職先が決まってから退職、というのが普通の流れかもしれませんが、
私の場合は日々の業務が忙しく、今後も多忙な状況が続きそうだったので、
(ただ単に時間の使い方の問題かもしれませんが・・・)
転職活動に時間を割くことができないだろうと思い、
退職後に本腰を入れようと考えていました。

~2007年5、6月頃~
原田さんより、是非紹介したい企業がある、と、2社ご紹介いただきました。
当時私は、新商品関連の業務で、入社以来一番の多忙な日々を過ごしていました。
社内の調整不足や業者とのトラブルなどで思うように仕事が進まず、
常に締切に追いかけられる日々で、
休日も、体力を回復させるのに精一杯といった状況で、
転職について考える暇もなく、ただ時間だけが過ぎていった気がします。
もし、退職するまでに絶対に転職先を決める!という思いがあったら、
この頃相当焦っていたと思いますし、
冷静に考えたり準備する時間がないまま、
ご紹介いただいた企業の方にお会いしていたかもしれません。

~7月上旬~
新商品関連の業務もほぼ収束し、引継ぎを行っている頃、
東京駅の喫茶店で、再び原田さんとお会いしました。
先にご紹介いただいた会社の仕事内容に私は惹かれており、
この時、面談のアポまでとっていただいたのですが、
面談当日、展示会で説明員をしなければならなくなり、
お会いすることができませんでした。
急なキャンセルは業務上の都合でもありましたが、
自分が今後どうしていきたいか、まだ揺れている時期でもあったので、
退職して一旦落ち着いて考えようと思う、と原田さんにお伝えしました。

そしてこの頃、地元の町職員採用試験があることを知ります。
もともと私は公務員志望ではありませんでした。
しかし、転職のためのUターンか、Uターンのための転職か、
というそもそもの動機を振り返ると、
Uターンのための転職、という意識が強かったことや、
人々の生活に多角的に関わることができる公務員という仕事に魅力を感じ、
応募してみることにしました。
そもそも公務員試験とはどういうものか?から調べるような状態で、
準備期間が2ヶ月しかないことや、
民から官へ、という転職に若干戸惑いを感じながらも、
3年という社会人経験は、官・民どちらでも活かせると思うし、
数年間地元を離れていたという経験も役立つのではないか?と思い、
時間内で、とにかくやれるだけやってみよう、と決意します。

~2007年7月末~
退職

~2007年8月~
実家に戻ると同時に入院してしまいました。
そして、入院の原因となった病気以外にも病気が見つかり、
これまでの乱れがちだった生活を大いに反省しました。
入院によって、公務員試験の準備期間がますます短くなり、
試験範囲を全部カバーできず、相当焦りました。

~2007年9月~
一次試験(筆記試験、集団面接)を受験しました。
筆記試験はやはり、準備期間なりの出来でした。
一次試験で面接を行う自治体は珍しいようですが、
これも私にとって幸運の一つだったのかな、と今となっては思います。
想定問答を考える際には、職務経歴書が、経歴書自体もそうですが、
それをまとめあげる段階で考えたことが役立ちました。
本心でなくとも、文章で自分を飾ることはいくらでもできるとは思いますが、
想定問答を作りながら、この話は実感を込めて語ることができるか?
と度々自分に問い掛けた結果が、面接では出せたかと思います。

そして、一次試験を幸運にも通過した私は、10月に二次面接を受け、
無事、採用していただくことが決まりました。

偶然や幸運続きの転職への道のりを経験して、
次の職が決まってから退職すべし、無職より現職の方が有利、
ということを実感しました。
これは、原田さんや、転職を経験した知人の多くが語っていたことです。
私は、退職して山形に帰ってから転職活動をする、と決めたものの、
先が見えない状況が長く続くと不安にもなります。
やはり、ブランクは短い方が良いと思います。
私は現在は無職ですが、仕事の感覚が鈍っているだろうな、と感じています。
しかし、時間がたっぷりある今だから出来ることに時間を充て、
再就職までの時間を有意義に過ごしていきたいと考えています。
2007.11.21:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語4】待ったをかけられた転職活動(Dさんの場合)

以下の文章は首都圏から生まれ故郷、山形へUターン転職を果たしたDさん(31歳)からいただいた文章です。そのまま、全文を掲載させていただきます。
Dさん、ありがとう。本日(7月9日)の初出社いかがでしたか!?
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私がキャリアクリエイターの原田さんに初めてお会いしたのは、2004年のゴールデンウィークでした。
大学進学と共に山形を離れ、就職も無難に首都圏のメーカーを選びましたが、家の事情もあり、何となくですが、近い将来Uターンしようと、心のどこかで考え始めていました。メーカーに入って3年が過ぎ、転職活動を何となく始めた頃は、リクナビやエンジャパンなど、首都圏では有名な転職エージェントを利用してUターン転職を模索していましたが、地方の企業に対する情報が少なく、あまりうまく行きませんでした。そんなときです、インターネットを検索していたら、山形にキャリアクリエイトという転職斡旋の会社があることを知りました。
2004年のゴールデンウィークに帰省した際、面談させて頂くことになりました。原田さんに初めてお目にかかったときは、デカイ人だな~と思ったのが第一印象。まだUターン転職に対する意識があいまいだった私の思いを熱心に聞いて下さり、同時に山形の企業の状況を丁寧に解説して頂きました。その上で「折角メーカーにいるのだし、もう少しメーカーで経験を積んでみたら、きっとよい経験ができるはずだから」というアドバイスを頂きました。そういうアドバイスもあり、いったんはUターン転職のことを忘れました。
その後、私にとっては忘れることのできないとても思い入れの深い仕事に巡り会うことができました。この仕事をきっかけに会社での評価も上がり、同時に、一緒に大変なプロジェクトを完遂したメンバーやお客さまとも強い信頼関係が築けました。また、個人的にもエンジニアとしてステップアップすることができ、あの時、無理にUターン転職しなくて良かったと今は思います。
再び、Uターン転職を考え始めたのは、メーカーで一通りの仕事が何とかできるようになって自信が付いたことと、祖父母が他界して、両親2人だけになってしまったこともあり、将来のことを考えるとUターン転職のタイミングとしては今しかないと考えたからです。
2006年10月末に東京駅の喫茶店で原田さんと再び面談しました。現在までの仕事の状況と、今後の仕事の予定をお話しました。2006年12月~2007年4月上旬まで神戸に長期出張することが内定していたため、正直、その時期に転職活動をするのは厳しいのではないかと考えていました。事実、参画したプロジェクトは、プロジェクト崩れ末期の状態で、業務SEとして加わった私の生活は、休日返上の4ヶ月間でした。その状況下で転職活動をやって行けたのも、履歴書や職務経歴書などドキュメントに関するレビューや、採用面接の段取りなど、こちらの状況を最大限配慮頂き、調整してくれた原田さんのおかげです。そんな中「是非紹介したい企業がある」と言われ、その企業の方と東京で1次面接を受けました。面接してみると、とても雰囲気の良い、そして技術指向の高い企業という印象を強く受け、Uターンするなら、この会社に入りたいという思いが強くなりました。2007年のゴールデンウィークに山形の本社で最終面接を受け、ゴールデンウィーク明けに正式内定を頂きました。退職については正直骨が折れましたが、何度となく電話やメールで原田さんに相談しました。そして、原田さんの的確なアドバイスのおかげで、最終的には円満退職まで漕ぎ着くことができました。今は新しい会社での生活に向けて、ドキドキ半分ワクワク半分といったところです。
キャリアクリエイターの原田さんは、県内外を問わず、様々な企業の情報を文字どおり足で稼いでいます。転職は縁とタイミングが大事と言いますが、この両方をフォローして頂けるのは、非常に有難いことだと思います。
2007.07.09:原田幸雄:[転職成功物語]

湘南ビール、いただきました

  • 湘南ビール、いただきました
山形出身の彼。
3年以上も前にUターンを決意し、私のところに求職登録してくれました。

でも、そのとき私は彼に対して「まだ早い!しっかりキャリアを積むこと。それには、これと、これと、これを心がけて仕事をしてみたら。3年位たったら、またおいで」と。

それから、本当に3年経過したころに、再び再会。

この7月に私の紹介した山形市内の企業に転職することになりました。

誠実で律儀な彼。挨拶に来てくれたときに、もってきてくれたのがこの地ビール。
今晩、大事に味わっていただくつもりです。

なお、本人自身で転職成功物語を寄稿してくれることになってます。
みなさん、楽しみにしていてください。
2007.06.27:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語3】回路設計者Cさんのケース

Cさんは40歳代後半、大手の半導体メーカーで回路設計をやっていたエンジニアだ。

最近は、景気の浮揚からエンジニアに対するニーズは過熱気味だが、40歳代後半、しかも東北エリアで探すとなると、簡単ではない。

仙台の業務提携先の社長に紹介され、Cさんと面談したときには典型的な「大企業人」との印象。技術は優れたものを持っているが、これは紹介が難しいなぁ、と思ったのが本音である。

まずは、大手の顧客から順番にあたってみる。が・・・不発。
もちろん、「年齢が」とは言わないが、奥歯にモノが挟まったような言い回しで文書選考の結果、見送りと伝えてくる。

あるとき、盛岡市にあるベンチャーを紹介してみようという気になった。
この会社、私が前職で勤務していたアルプス電気の元盛岡工場に勤めていた方々が中心になって立ち上げた会社。岩手県からも注目されている会社ではあるが、何しろ経営規模は小さい(20数名)。

わたしが紹介してみようと思った理屈はこうだ。
小さい企業は、大企業の人材を専門性は高いが幅広い仕事ができない、硬直的で柔軟性にかける、中小企業を下に見ている、と思いがちでなかなか面接まで至らない。
が、この会社の幹部はアルプス電気という大企業経験者が多い、大企業臭さが残っていてもさして、気にならない。Cさんがこれからこの会社が目指す領域の技術を持っている点に着目したのだ。

当初は、あまり乗り気でなかったCさんも、会社を訪問して社長以下、技術部門の方々と面接をすると理解が深まり前向きに。なんと最初の面談は2時間半にも及んだ。やはり技術者は技術が分かる人間と惹きあうんですね。

先日、Cさんが小学生のお子さんをつれて内定の報告に来てくれた。
くりくり坊主の子供の頭をなでながら、お礼を述べるCさんの顔がほころんでいた。

その後も順調に話しが進み、5月16日に初出社を迎える。
がんばれ、Cさん!


2007.05.11:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語2】 碇谷規幸さんのケース

転職を期に改めて感じたこと ~自分探しの数ヶ月~

私がキャリアクリエイトの原田さんと初めて会ったのは今から4年前の冬だったと記憶しています。酒田のデパートの喫茶店で色々な話をしました…。物腰の柔らかく、受け入れ易い人という感じを持ったのを覚えています。
そもそも大学卒業後に東京に出て設計事務所に就職したのが16年前。そのときから酒田にいつかは帰ろうという思いで仕事をしてきました。「酒田に帰るときは一人前の設計士として実力が認められるようになっていたい…」12年間この思いを胸に仕事をしてきました。ある仕事がきっかけで家族と酒田に帰ろうと決心したのが5年前の冬。地元での再就職先を探しながら1年後に酒田に帰る計画を立てたのですが、仕事をしながら地元での再就職探しなんてできる訳もなく半年近くあっという間に過ぎました。そこに母親の不幸が重なり何はともあれ酒田に帰ってきた次第だったのです。自分で再就職先を探すにしても何をどうやれば良いか分からず、ハローワークに行っても自分の今までやってきた職種の求人がある訳もありません。途方に暮れていたときふと自宅でインターネットを検索していたら再就職を応援してくれるコンサルティング会社があるとことを発見!しかも山形にあるではありませんか!そこから原田さんとの出会いが始まりました。
一人で再就職活動をしていると不安になります。「自分がやりたい求人がない、いっそやりたい仕事でなくとも応募してしまおうか、希望と違う職種でも我慢するか…」こんな思いが常に自分の心の中を支配してきます。その弱気な心を、道から外れそうになった気持ちを諭してくれたのが原田さんの一言です。「経営者というのはいい人材が見つかれば今の社員を辞めさせてまでも採用したくなるものです。安易に楽な方に流されてはだめです。きっと碇谷さんにぴったりの再就職先が見つかります。がんばりましょう。」この言葉のおかげで自分のモヤモヤした感情が一気に吹っ飛びました。
再就職セミナーを受けると自分の気持ちが一つの方向に収束していくのがはっきり分かってきました。履歴書・業務経歴書の作成、成功例・失敗例の体験シート等の作成、模擬面接を通し、自分が今までやってきた仕事に対する情熱、考え方、これからの方向性を再認識し「やっぱり設計事務所が一番、設計が、建築がしたいんだ」という結論を見つけ出すことできたのです。「求人情報は氷山の一角にしかすぎない。水面下に大きな市場が存在することを認識しましょう。経営者はいつの時代もいい人材はすぐにでもほしいと思っているんです」原田さんの言葉に勇気と自信をもらい酒田の設計事務所回りが始りました。
内定をもらっていたハウスメーカーには断りの連絡を入れ、DMと知人の紹介から数社の設計事務所に接触を図りました。だめだったら、腹をくくって自分自身で設計事務所を立ち上げるかという気持ちも半分持ちながらの再就職活動でした。返事が返ってきたのは5社。そのうちの1社が面接に応じてくれました。堅苦しい面接ではなく、雑談半分、面接半分といった感じで自分としても“自分らしさ”が出せてるかなと思いつつ話をしていました。すると最後に「明日から来い」と一言。あまりの即答に少々戸惑いながらも喜びが込み上げてきました。原田さんやここまでお世話になった人たちに感謝感謝です。
「明日から来い」と言ってくれたのが今の事務所の所長です。大正生まれで人生の酸いも甘いも経験している兵です。妙な駆け引きは好きではなくストレートに物事を言う人で、そんな人ですから面接のときにマニュアル通りではなく、肩肘張らず率直に意見交換をできたことが良かったのではと思います。今の事務所に勤務して4年になりますが、所長とは今でも駆け引き無で話をし、仕事もようやく自分の酒田での自信作・処女作と言えるものも完成しました。他の設計事務所の面々や建設会社、その他下請業者の方々等酒田での人脈も増え、忙しさの中に充実感を感じながら仕事を行っている今日この頃です。常に何事にもやってみなければわからない、前向きに考えることを前面に押し出しこまで以上に仕事・遊びに従事したいと思っています。それが自分らしさ・自分のセールスポイントだと確信しましたから…、あの一言で。
「経営者というのはいい人材が見つかれば今の社員を辞めさせてまでも採用したくなるものです。安易に楽な方に流されてはだめです。きっと碇谷さんにぴったりの再就職先が見つかります。がんばりましょう。」

碇谷規幸さんの仕事ぶり
2006.03.18:原田幸雄:[転職成功物語]