小野川温泉 吾妻荘
▼もう一つの塩の道
甲州は山に囲まれ、南の塩の補給路をたたれ
北の塩の道をたたれれば、武田の領民は致命的な
打撃を受けると言う情勢で、上杉謙信は、
「争うべきは弓箭(ゆみや)にあり、米・塩にあらず」
と言って塩の道の補給を絶たなかったといわれ
敵に塩を送るという言葉が伝わったとされます。
新潟から会津をへて、大塩温泉裏磐梯、
綱木峠、米沢と通る道も塩の道とよばれ、重要な
塩の補給路でしたが、大塩温泉では温泉から塩を
取って製品化してますね。
小野川の湯も塩分が多く、塩田は大昔からあり
鷹山公は仙台から技師を呼び塩を作らせています。
吾妻荘公式ホームページ
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2008.01.18:azumasou
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