朝日町エコミュージアム

▼衣沢のため池(村堤)

 明治16年(1883)より毎年旱魃が続き、特に明治十九年は、歴史に残る大旱魃となったのです。田植後6月18日は一日雨。それより8月22日まで、五5、6回一時的な雷雨があったものの、65日間ほとんど降雨なく、連日摂氏30度以上の猛暑が続き、稲や野菜も枯れはじめ、収穫は半作という悲惨な状況でありました 
 油子沢新堰完成後20年にして、またもや水不足が問題となったのです。そこで衣沢に30日間通水できる大型の溜池築堤を村会で決議、明治新政府の基盤も弱く、国からの助成は困難な状況にありまた、村民に費用の全額を負担させることもできず、苦心相談の結果、村の有力者5人より、田地買上代として150円の寄付を願い、村民の協力で、難工事も順調に進み遂に完成したのが滑の股ため池(通称村堤または衣沢の堤)であります。
 明治23年建立の「滑股溜池碑」に総工費1,593円、総人夫1,050人と刻まれています。 
滑の股溜池碑写真

『水とくらしの探検隊〜大谷大堰編〜』より
編集 : 平成14年(2002)
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2009.04.20:朝日町エコミュージアム協会

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