朝日町エコミュージアム
▼大朝日岳周辺の朝日軍道
お話 : 花山忠夫氏(宮宿)
〈大朝日岳の軍道について〉
朝日軍道は葉山から御影森山〜平岩山〜大朝日岳〜中岳〜西朝日岳〜竜門〜と続いている。
大朝日岳の山頂付近は大変風当たりが強い所で、草もあまり生えず岩も露出している。私は険しい大朝日岳の山頂は通らないで、中腹を迂回したのではないかと考えている。
中岳の方から見た大朝日岳の斜面に電光形の道跡の線を発見した。そして大朝日岳の避難小屋の裏には、その斜面に至る道跡も見つけた。その辺りの背の低い灌木はだいぶ太くなっているので、近代になってから開削はしていないことが分かる。
大朝日小屋から中岳に向かう途中に天下の名水”金玉水”があるが、その上部周辺にも地形を平らにしたような痕跡が見受けられる。水場も近いので番小屋があったのかも知れない。ここはもう少し掘って探すとなにか出てくるのかも知れないが、一木一草たりとも採ってはならない「特別保護地域」なので全く手をつけることはできない。
〈西朝日岳の消えた道跡〉
西朝日岳の斜面に残る電光形の道跡を見ていて、下のほうの道が、一曲り、二曲り位消えていることに気付いた。また、折り返しがこのまま鋭角なカーブでは馬車が通れないので、そこに車回しの形跡があったはず。それも消滅したと考えられる。
掘削は上から掘ったと思う。下から掘っていくと上から掘削した土でまた埋まってしまう。余った土で車回しを作り、さらに余った土は下の方に盛土をし、その上に道を作ったのではないか。ここは大変雪が積もる場所なので、盛土した所が流され道や車回しが消滅したと推測している。
〈吟味された測量〉
電光形になっているという事は、馬や荷車を通した証拠といえる。よく見ると測量がきちんと成されている。電光形の道の左へ登るそれぞれの線だけを見ると平行になっており、右へ登る道もそれぞれ平行になっている。かなり吟味したのだと思う。また、地形上全体の掘削できる巾は限られているので、折り返しの数も割り出してから測量を進めていったのであろう。
このことを考えると、私が迂回していると思っている大朝日岳でも、同じように開削は可能であったのではないかと思う。
〈開削の苦労が見える〉
山は岩がたくさん出てくる。そこを避け勾配を変えてしまうと馬や馬車が通れなくなるから、実際の開削は大変な苦労があったと思われる。
道跡を見ると、薮の中に岩を見つけることができるが、よく見ると岩の節にあわせて引き裂いたような剥がし方になっている。もしかしたら火薬を使ったのかも知れない。
朝日町の天地人パネルディスカッション「直江兼続が開いた朝日軍道」(平成21年11月)
※写真は西朝日岳に電光形に残る朝日軍道
花山 忠夫(はなやま・ただお)氏
昭和25年生まれ 朝日町宮宿在住。平成4年朝日山岳会長に就任。平成4年環境庁自然公園指導委員。平成4年〜平成7年自然環境保全地域管理人(ヌルマタ沢野川地域)。平成8年自然公園管理人(朝日地区)。平成16年自然公園の適正利用、安全登山の推進等の功労により、環境省自然環境局長表彰を受賞。朝日山岳会の仲間と登山者の安全確保のため登山道整備や清掃、自然環境保全等の活動に尽力している。
→なぜ朝日軍道が必要だったか
※上記ダウンロードボタンより印刷用pdfファイルが開けます。
画像 (小 中 大)
2009.04.17:朝日町エコミュージアム協会
⇒HOME
(C)
powered by samidare