さがえ九条の会
▼正当性高まる9条の思想
五十嵐仁『東京新聞』2006年11月15日より
憲法九条は国際的な対立を軍事力によっては解決しないという原則を定めたもの だ。かつての侵略戦争を反省し、再び同じ過ちを犯さないという周辺諸国に対する国際的誓約だったと思う。その九条を生かしていく立場からすれば、大変困難な状況が生まれている。
鳩山一郎元首相以来、半世紀ぶりに改憲を公約に掲げる首相が誕生し、それに説得力を持たせるかのような国際環境が生まれた。北朝鮮のミサイル実験も核実験も実は失敗の連続だが、安倍晋三首相は危機感をあおる。そういう指導者と環境の下で右傾化が進み、国の安全を守るのは軍事力だという考え方が強まっている。
日本の安全という点では、着上陸型侵攻はほとんど考えられない。テロの可能性はあり得るが、それは警察力で対応すべき問題だ。軍事力によってテロが根絶できないのはイラク戦争で証明されている。自爆行為を生む怒りや恨みは、民族間や宗教間の相互理解、経済的援助、医療や教育の支援などのソフトパワーでしか解決できない。
ミサイル攻撃に対する軍事的な防衛は不可能で、ミサイル防衛構想は荒唐無稽(むけい)だ。大切なのは、発射ボタンを押させないためにどうするかということ。軍事力というハードパワーでは平和を実現することも安全を守ることも不可能だ。ソフトパワーによる平和と安全の確保という憲法九条の考え方こそ正当性が高まっている。
改憲などで安倍首相がでやろうとしていることは、日本の安全保障とは無関係だ。集団的自衛権の行使を言うこと自体が専守防衛の範囲を超えている。安保条約第五条によれば、日本の領土、領空、領海では既に「共同防衛」が可能になっている。安倍首相が目指すのは、それ以外の場所で米国の手足となって戦争に協力することだ。
日本は憲法九条ではなく、日米安保体制に守られてきたと言う人がいる。一九五二年度以降、米軍絡みの事件や事故は二十万一千件以上起き、千七十六人の日本人が死んだ。ベトナム戦争とイラク戦争にも巻き込まれた。日本と日本人を守ってきたなんてでたらめだ、と私は言いた
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2006.12.28:aone
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