さがえ九条の会
▼過去の新聞社説から〜朝日新聞若宮論説委員
改憲と護憲 巌流島の勝負の行方は
(2005/02/27)
今月3日。中曽根康弘氏のあいさつは高揚感に満ちていた。
「憲法改正という大事業、その中でも前文はお寺でいえば山門みたいなもので、非常に大事な場所だと思う。そういう大きな責任をしょって、私たち、見事に責務を果たしていきたいと思っておる次第です」
自民党に新たにできた新憲法起草委員会の「前文に関する小委員会」初会合。中曽根氏はその委員長なのだ。
高ぶるのも無理はない。1956年に「憲法改正の歌」をつくるなど、この半世紀、氏が執念を燃やしてきたのがこの問題だった。一昨年、小泉首相から政界引退を通告されて「政治的テロだ」と怒ったときにも、やっと自民党が改憲案を作る段階になったのに、と無念の思いを隠さなかった。
起草委員会では森喜朗前首相が委員長となり、その下に10の小委員会ができた。86歳になった大物の元首相に前文づくりを委ねたのは、その情念に応える一方で、起草委に重みをつける意味もあるのだろう。
◇
重みといえば、もう一人の元首相が「天皇に関する小委員会」の委員長になったのには驚いた。こちらは85歳。保守の護憲派の雄というべき宮沢喜一氏である。
思い出すのは97年4月、憲法50年を期して実現した中曽根、宮沢両氏の対談だ。改憲・護憲の激突として朝日新聞に連載された後、本にもなった(朝日文庫『憲法大論争』)。
その司会を政治部長だった私が務めたのだが、会場のホテルに早めに現れた宮沢氏に対し、中曽根氏は何かの事情で10分ほど遅れてきた。待たされた宮沢氏が「巌流島ですかなあ」と苦笑したのを忘れない。対談では武蔵と小次郎ばりの火花が散った。
占領下にマッカーサー司令部が骨格をつくったこの憲法には、民族の歴史や伝統に基づく国家観が欠けている。軍隊を持たないという9条は安保条約による米軍の保護があってのことで、自主性がなさ過ぎる。時代に合わせ、21世紀にふさわしい憲法を自分たちが創(つく)るときではないか。
そのように中曽根氏が熱弁を振るえば、対する宮沢氏も引かなかった。
日本は軍隊を持って、過去に大変な失敗をしたではないか。9条のもとでやれることは自衛隊がやれるようにしてきたのだから、これ以上、軍隊をもったり、外国で武力行使したりするのは愚かなことだ。戦後日本はこの憲法を使いこなしてきたのだし、それは大事にした方がいい。
あれから8年、改憲が現実テーマになったのは政治の大きな変化である。衆参両院に憲法調査会ができて5年。自民党は11月に開く結党50年記念の党大会で、党の改憲案を決定することになった。それに向けて4月中に起草委の試案を示せるよう、各小委員会は3月中に考えをまとめるという。ときの流れは武蔵にあり、ということか。
しかし、よりによって宮沢氏がこの作業に加わろうとは……。真意やいかにと思ってご本人に尋ねると、森氏からぜひにと頼まれたのだという。「党の新憲法案を創ることはすでに選挙で公約しているし、ここは総理総裁の経験者にもそろって協力していただきたい」。気が進まないからと断ることもできたが、断れば角が立つのでお引き受けした、というのだ。
天皇問題なら無難そうだと考えたのかもしれないが、それにしても宮沢氏を取り込もうとは、森氏らもなかなかのものである。
しかし、宮沢氏が断らなかったのは「角が立つ」からだけでもあるまい。「いずれ9条についても、私の考えを言わせてもらえる機会があるんでしょう」というから、断って蚊帳の外に置かれるよりはこの方が、と踏んだのだろう。小次郎もただ負けるわけにはいかぬ、の心境ではないか。
◇
関心の的である9条の小委員長に起用されたのは、前官房長官の福田康夫氏だった。熱っぽい改憲派を避けて、穏健なバランス派を起用したところに配慮のほどがうかがえる。
自民党では9条改正論が圧倒的とはいえ、どう変えるかとなると一様ではない。名実ともに軍隊の存在を書き込むのか、それとも自衛隊の明確化にとどめるのか。外国での武力行使にも道を開くのか、それには歯止めをかけるのか。そこにも中曽根流と宮沢流の違いが浮き上がる。
しかも、自民党案ができればそれで勝負ありというわけではない。各党の考えがばらばらの中で、他党を巻き込み、衆参両院議員の3分の2、さらに国民投票で過半数の賛成を得るのは容易な話ではないからだ。巌流島の決着はまだまだ先のことになる。
さて、言論の世界にも急速に改憲論が広がる昨今、それは決してひとごとではない。さあどうするかとせっつく向きもあるが、感情的な議論が先走りがちな中で、ここはあわてることもないだろう。日本社会や世界の状況などを見定めながら、じっくり勝負に臨みたい。実は私も、武蔵を見習いたい心境なのである。
2006.01.12:aone
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