さがえ九条の会
▼「「前口上」より)兄おとうと」の上演にあたり
作家 井上 ひさし
日本国憲法は占領軍から、正しくはアメリカから押しつけられたものである――という説があります。でも、わたしはこの説を信じない、とても卑怯な俗説だから。たしかに、いくらかは押しつけられたところもあったでしょう。けれども、戦争直後の日本人、とりわけ当時三十代後半から上の世代には、この新しい憲法は、どこか懐かしい古い子守唄のように聞こえたはず。なにしろ彼らと彼女たちは、かつて、政府のやり方に不満を持った人びとが日比谷公園で騒ぎ出して、ついには議事堂に火をつけようとしたことや、憲法を守れと叫んで内閣を倒した人びとがいたことや、日本海側のおばさんたちの「米よこせ」という血を吐くような声があっという間に全国にひろがったことや、輝やかしい将来を約束された学生たちがその将来を捨てて、働く人たちと肩を組み合って「この国の仕組みを変えよ」と主張しながら獄中で息絶えて行ったこと――そういった直近の事件群を、断片としてではあれ頭のどこかに記憶していたにちがいないからです。
そういった歴史の事件群のなかでも、あの大戦争のあとの三十代後半から上の世代の日本人の記憶にまだ鮮明だったのは、東京帝大教授吉野作造の説く「政治は国民を基とする」という民本主義だったに違いない。そして吉野のこの思想を発火点として、大正デモクラシーと呼ばれる新風が和やかに、しかし粘り強く吹きつづいていた時間もあったっけと思い出した。ですから、占領軍の役割は「日本人よ、ちょっと前の時代を思い出してごらん」と声をかけてくれただけ。いまの憲法は、そのころの日本人が過去の記憶をよびさまして掴み取ったもの。いまの憲法に当時の民間憲法草案からたくさんの事柄が流れ込んでいる事実も、わたしのこの説明を支えてくれるはずです。(the座51号
画像 (小 中 大)
2005.12.28:aone
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