さがえ九条の会
▼改憲策動に関する私見 〜A生〜
日本には何でも、分りにくく説明することが流行している。それが日本の政治の無関心を助長してきた。憲法9条論議もそうであった。しかし、憲法9条を破棄するかどうかは極めて重要である。多くの日本人の命にかかわることである。
政治の現実的な選択肢を示すことが、分り易い、憲法9条論議ではなかろうか。現実の選択肢を示さない憲法論議は抽象的で分りにくい。また後付けでどうにでも言い逃れる、どうでもいい解釈可能な議論になりやすい。
憲法9条に関する選択は二つである。一つは現状維持である。60年間平和であったのは憲法9条のおかげであった。他は9条を破毀して、集団的自衛権を認めることである。それは必然的に日本軍がアメリカ軍に組み込まれることである。日本の若者をアメリカ軍の指揮の元に死に追いやる可能性が極めて高い。これが二つの現実的な選択肢である。だが、9条を破棄したい人は狡猾である。娘がレイプされかかったときどうするんですかとか、敵が攻めてきたら武器も持たずに命を差し出すんですかと言って来る。一億分の一のレアーケースを引き合いに出して、万一の場合にアメリカ軍は必要じゃないですかといってくる。東海大地震が必ず起きるから、高額商品を買えというようなものである。詐欺商法には気をつけましょう。改めて言えば、日本に再びジンギスカンが攻めてくることは無い。人の恐怖心を煽って、憲法9条をバナナの叩き売りみたいに売りさばく魂胆がありそうである。
日本の政治外交は昔もそうであったが、今もワンテンポ遅れている。かって植民地争奪戦の時代があった。日本も送ればせながら、中国に軍隊を送り、満州(中国の東北地方)に植民地を築き、さらに中国全土を支配せんとした。ただ残念ながらその頃には植民地争奪戦の時代は終わりに近づいていた。例えばアメリカは中国を植民地することを望んでいなかった。互いに貿易によって儲けようではないかと思っていたのである。このことに全く気付かずに当時最強の軍事力を誇ったドイツと手を組んでしまった。強いものに憧れるのは今も同じである。
いま、アメリカの一極覇権主義が続いている。日本はこれが10年以上の長期間も続くと信じて疑わない。ドイツ帝国がアメリカ帝国に変わっただけである。悲劇はここから始まる。アメリカ自身が既に将来の多極分散政治を想定している。アメリカ軍の世界的再編もその一つである。なぜ、世界は多極分散でなければならないか。それは、アメリカが他の国を豊にして、それらの国と貿易しないと儲からないからである。アメリカ人2億4千万人の国民を食わせるためには、他国から一方的に搾取するだけでは足りない。日本のように豚は太らせてから食べた方が美味しいということでしょうか。何でも逆らえない日本のようにすれば、そのような国を増やせば、21世紀もアメリカの世界でしょう。日本自身も分散型の道州制政治を断行しないと、アメリカから見て太った豚から、貧しい豚になってしまうでしょう。
このように世界情勢が全く見えない日本は、アメリカに尻尾を振り、近隣アジア諸国には挑発的外交を繰り返す。時代の趨勢を2歩も読み間違えていませんか。憲法9条論議は必然的に、明日の日本をどうするかの議論になるのである。
2005.11.04:aone
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