茶道=初釜 が、フリーダムになりつつある。
師匠、親族の死去を振り切っての挙行。 お道具を総て、静か、設え変える。 礼儀だと思う。 方や、衣装に目を向ければ弟子一同は、師匠の身の上は知らされていない。 新春の初釜に相応しく麗しい衣装に身を包むのは礼儀ではないのか?? お身内の気軽さや、やはり お道具が衣装より優先されるのであろうか? 着物の格式を重んじる茶道でも、教科書の内でなくてもいい現状があるのかもしれない。 何を隠そう私の長着は、紬で一つ紋など着くはずがない。 師匠も同じかもしれない。デヴット・ボウイの死去で、喪に服したい私。先輩が暗がりめいた写真を撮って頂いた。 加えて、社中の皆様にSNSアップの御許可を頂く。 いちまた特選呉服と振袖レンタル写真館 取締役 齋藤直也
2016.01.13