舞い落ちる音
初冬と言うべきか、晩秋と言うべきか、その頃の或る日。
折り重なる山々の、紅葉も終わった落葉樹の葉が、一斉にかさこそ、さわさわと降るが如くに散って行く様。皆さんはご覧になったり、その散り降る音をお聞きになったりしたことがおありだろうか。それは正に冬への儀式、厳かな自然の儀式と言える光景だ。
私は67kmの道を、新しい職場へ通いだした最初の年の記憶として、しっかり胸に刻み込んで来た。それは、その降り敷く音は、運転している車の中にさえ確かに入り込んで来て、耳の中で、毎年その季節になると聞こえて来る。
理性的に考えれば、そのような事は有り得ない事と言ってしまえばそれまでのことだけれど、寝静まった夜に、シンシンと降る雪が回りの全ての音を吸収しながら、それでいて自らの舞い落ちる音を消し去ることが出来ない。私にはその音が確かに聞こえるのだ。
山の木々はすべての葉を落として長い冬の眠りに就く。適度の寒さが安眠の条件だ。落ちた葉は土の養分となり、雨や雪の濾過材となって、長い時間をかけて、清らかな水をもたらす。人間など大自然の営為の中では何ほどの事が出来るだろう。何と卑小なものかと、いつも思わされている。
夏の盛りの草や木々の圧倒的な緑。僕は長い距離、自然の真っただ中を通うようになった頃、ただ恐ろしく感じたし身震いさえした。本当に自然の力に圧し潰されるようであった。この地球の主人公は植物を中心とした自然そのものであり、それが傷つけられ活力を失って行く時、自然の死よりも早く人間そのものが滅びてしまう事は間違いない。
自然があってこそ、人間の存在が許されるのだ。私の自然との共生とは、そのようなものだ。
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2012.12.20:agrizao:[Okuyama's Column]