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記念樹を植えよう

  • 記念樹を植えよう
  
今年も又、雪が4月まで残った。昨年に引き続き2年連続の“珍事”と言っていいのだろう。各地からは、非常に早い桜の便りが届いている。果たして山形の桜はどうなのだろうか。ワイナリーでは足元に雪が残っている中、剪定が始まっている。雪のある中での剪定は前例が無い。桜の咲くころに雪が降ることはよくある事だ。そう珍しい訳では無い。しかし、4月にまでワイナリーや近くの畑や田に雪が残ることは相当に珍しい出来事だ。しかも2年続けてとなると、地球温暖化が叫ばれて久しい中、かなりの珍事と言わねばならないだろう。今年の天候はどんな経過を辿って行くのだろう。
 
山形には樹齢1000年を超す江戸彼岸桜や山桜が数多く分布している。毎年美しく咲き揃うのでは無いようだけれど、美しく咲いた時の生命感や、その典雅さは眼を見張るものがある。
 
一度瀬戸内海に浮かぶ小島出身の問屋さんの支店長さんご夫妻を、久保の桜へ御案内したことがある。その年の久保の桜は本当に見事な花を付けていた。御夫妻は心から感嘆されていた。僕も毎年多くの桜を見るが、先行きを考えるとあと多くとも20~25回ぐらいしか、見ようと希っても見ようが無い。命には限りがあるのだから、このことは如何ともし難い。でも、僕の受けたこの感動を後にやって来る人々に伝える方法はある。アグリパークがある。山形の宝とも言うべき古代桜の二世木を植えて行くことはできる。
 
アグリパークZAOの地は、樹木の多くを伐採して、放牧場のために草地とした所。ここに農を中心に据えた新しい試みをして行く訳だが、樹木を植えて行く事も是非やらなければならない事の重要な一つである。木を植えるからと言って何でも植えれば良いと言うものでは無い。針葉樹は先ず除外すべきだろう。そして地域の植生を調査し、破壊しないように樹木を選択する必要があるだろう。勿論多様性を担保する形でだ。アグリパークの仕事の一環として、そのことをやって行きたいと思っている。
 
今は少子化の時代、しかもその少ない子供が故郷を遠く離れて仕事をし、遂には故地には戻れなくなる事も多い。墓をろなどと言っても、それすらも難しい。今後、この事はますます増えて行くだろう。家族が未だ家族の形を保っている内に、アグリパークに家族全員で来て記念植樹をしてはどうだろうか。そして記念碑も一緒に残して見てはどうだろうか。お寺と日常的に関わりを持って行く事は非常に難しくなって行くだろうが、故郷に思い出の場所を作って置けば何時でも時間のある時、気の向いた時に来る事が出来、想い出を辿る事が出来る。そんな場所も、これからはあってもいいのではないだろうか。心の宿り木、故郷への紐帯ともなって行くのではないかと思っている。
 
誰にとっても年をとればとるほどに故郷は懐かしいもの、そこに縁を持ち続けたいとほとんどの人は希っている。中には故郷に帰って来ても、実家に帰る事が出来ない人、家族がもう無い人も居る。故郷は、いつまでも、全ての人々の故郷にしたいものだと思う。或いは、都会に住む人の、故郷になるきっかけになるかもしれないと、植樹の事を考えている。
 
昨日(4/21)驚いたことに雪が降った。かなり本格的な雪、史上6番目に遅い雪だそうだ。桜の花に雪。まだまだ寒い日もある。体に気を付けて、夢を膨らまそう。


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2013.04.24:agrizao:[Okuyama's Column]

春が待ち遠しい

  • 春が待ち遠しい
何と言う事か。前回のコラムを書いていた時は、もう少しで暖かな春がやって来ると期待を抱かせるような天候であった。ところが一転、再び第一級の寒波が襲来して雪が降り積もり、今年最大の積雪となる有り様、除雪・排雪作業のため疲労困憊、そして手足、腰、背中が痛む。やはりまだまだ春は遠い。
周りの家を見てみると雪を片付けているのは皆、私くらいかもっと年上の人ばかり。若い人はほんとに居ない。両隣には若いと言っても50歳前後のご子息がいらっしゃる筈だが、ついぞその姿を見た事が無い。年老いた親が子息の出勤を扶けるべく朝早くから奮闘している。


また雪が降り積もり寒さが戻ってきたと言っても、それでもやはり2月の終わり、雪に覆われた庭の木をよく観察して見たら、白木蓮や椿の蕾は大きく膨らみ、雪が消えればすぐにでも咲きそうな勢いであった。先ほど春はまだ遠いと言ったが、植物たちはもう春がそう遠くは無いことを感知しているのだろう。
 この大雪までは、この冬は一部の地域を除いて、ごく普通の冬であった。ただ雪の降り始めは例年になく早かったので、長い冬だなあーと感じてしまう。長い長い冬、昨年は4月の初めまで雪が残った。ここ数年、春先が実に寒い。桜の開花も遅れがち、山形名物の“さくらんぼ”も熟期が遅れがち、果たして今年はどうなるだろうか。


前回ちょっとラグビーの事を書いた。僕は年をとってからラグビーを始めた。満39歳、ちょうど息子の野球部の親の懇親会があった。その父親達の中に、ラグビーの経験者が3人居た。僕はプレーした事は無かったが、観るのは大好きで、高校の同級生が早稲田でレギュラーだったこともあり、興味津々。ついには、僕が事務局を引き受けるからチームを作れと嗾け、“東根ラグビークラブ”を起ち上げた。練習場所は自衛隊にお願いして、駐屯地のグラウンドを使わせていただいた。
日曜日の練習には、僕が同道して自衛隊のグラウンドに行く。皆(メンバーも増えた)が練習する姿を見ていたら、やっぱり体が動かしたくなり、いつの間にか一緒に練習をするようになって行った。でもいきなり走り出したものだから堪らない。肉離れに次ぐ肉離れ、それでも練習を続けねばならない。何せ素人なんだから、追いつかなくちゃならない。


そんな最中、翌年の5月、青森県のあじゃら公園ラグビー場で東日本不惑大会があり参加した。とは言っても、テーピングはがっちりしたもののとても試合に出られるような状態では無い。僕が出なくてもメンバーは(山形不惑クラブ-出場は県単位)充分足りるはずだった。
ところがキックオフの時間が来ても、メンバーの一部が来ない。(ドタキャンは時々あるのが常識と後で分かった)ロクに走ることすら出来ない僕が出るしかない。“そんなに来ないからフルバックに入れ”と言うことになった。ところがである、普通のチームならそうなのだろうが、何せ当時の山形チームと来たら、寄せ集めの上に練習も他県のチームに比べたら、さほど熱心では無い。弱いのである。参加チーム中、1,2を争うほど弱いのである。


簡単にFWは蹴散らされ、バックスの壁は破られ、ゴール目掛けて殺到して来る。とは言っても、肉離れの僕は俊敏に対応など出来ない・・・筈であったのだが、気が付くと何と相手にしがみついている(格好良いタックルになっていない。何せ初めての試合なのだから)ではないか。なぜか、ボールまで持っているではないか。もう只々必死。ひたすら肉体をぶつけ合う格闘技状態。痛さなど感じている暇は無い。これが実に面白かった。
快感これに勝るものはなし。生まれてこの方、これほど楽しい時を過ごしたことがあっただろうか。これで完全に病み付きになった。ラグビー中毒患者の出来上がりである。・・・・・・


今年は春が待ち遠しい。今まで以上に。ここ数年、封印して来たラグビーに戻るためのトレーニングを始める予定なのだ。
春になったら、雪が溶けたら、蔵王の麓で、色々な人と交流できるイベントを考えて行こう。一緒に春の野を歩いて、心地良い陽射しや風を感じながら、採りたての山菜で天プラや味噌汁を作っておにぎりを原っぱで食べて話をするなんていうのもいいネ。若葉の森を観察しながら歩くのもいいネ。春よ来い、早く来い




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2013.03.08:agrizao:[Okuyama's Column]

春を待つ頃

  • 春を待つ頃
 
今年の冬は、山形県村山地方置賜地方共に平年並みの積雪、道路の路面の状態はここ2、3年では最も良好といった所。片道67㎞の道のり、流石に冬は厳しい。若い時はそうでも無いが、年を取るほどに車を運転することに恐ろしさが加わって来るような気がして仕方が無い。スリップすることに若い時にはさほど恐怖を感じなかった。今の方が恐い。大抵は経験を重ねる程に慣れて平気になるものが多いのだが・・・。


 例えばラグビーのタックル、しかも身長180㎝以上、100㎏を越える巨漢フォワードに正面からタックルに行くのは(例え、年を取ってそのほとんどが贅肉だと分かっていても)最初はかなり恐怖感が伴うものだ。しかし、何回か経験すると(かなり痛い目を見るのだが)臀筋の肉離れを起こしたりはするものの、かなり平気になる。


しかし凍結道路での運転はそうは行かない。これは度重なるスリップの記憶、恐怖の記憶が消え去ることなく、体の芯に蓄積されて行くからに違いない。信号が青になって先頭車両として発進しようとしたら360度回転したとか(180度だったら大変だ、後ろのトラックと正対することになる)、ブレーキを踏んだら180度回転して路肩から落ちたり(大した段差もなくて、車も壊れなかった)、止まれ止まれと祈りながら(もちろんブレーキを踏んでいる)それでも追突したりと、恐怖の経験は山ほどある。普段は忘れていても、何かの折にふっと想い出して背筋が冷たくなる。間違いなくトラウマとなっている。


 今年の冬も、あと長くて3週間ほどだろう。本当に春が待ち遠しい。
この気持ち(本当に待ち遠しい気持ち)は雪国に住む者でなくては実感するのは難しい。アグリパークZAOの草原は今雪に埋もれて一面白一色。転々と野兎や狐や狸などの足跡が印されているばかり。音の無い本当の静けさの中にある。当初思ったほどの積雪はなく約80㎝ほどだと言う。


 今年の積雪量は、ほぼ平年並みなので、温暖化の進行を考えれば、今後ここに施設を作ったとしても、そう困難な状況にはならないだろうし果樹などを栽培するにしても、かなり選択の巾は広がるだろう。農業には様々な困難が付きまとう。しかしだからと言って、どうでもいいなどと言えるものでは無い。焦らず一つ一つ積み重ねて行こうと日々自分に言い聞かせている。
春よ来い、早く来い。


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2013.02.26:agrizao:[Okuyama's Column]

H25年頭に思うこと

  •  H25年頭に思うこと

 私達はリレーランナーとして次の世代に何を残すのか。60歳を過ぎた今、そうそうのんびりとしてはいられない。私たちの世代の責任として次の世代に何を残さねばならないのか、何を残すことが出来るのか。


 私たちの子供のころ、川の水は澄んで魚がたくさん住んでいる事は当たり前だった。確かに裕福では無かったかもしれないが、自然に抱かれて安らぎがあった。いつのころから、こんなに川は汚染され、近海もまた汚染され、山は荒れてしまったのか。経済の高度成長で、見かけは大変裕福になった。ある時点までは国民のすべてがその恩恵に与る事が出来そうな気がしていた。人々は多くのものを犠牲にしながらそれでも豊かになる事に期待をかけ続けて来た。今、一度豊かさ(それなりの)を手に入れたと思った人や、その子達さえもが、それらが幻想であった事に気付かされて始めている。人々が犠牲にして来たものは余りにも大きい。これは日本に限らず、世界に共通することだ。


 人間の富への飽くなき欲望、全てが手に入る筈だという強欲。自然(他の幾百万もの生物が共存する)は人間のためにどう利用しようと勝手だという傲慢さ、社会的勝者?は何をしても許されると言う鼻持ちならぬ醜悪さ、今や恥知らずの利己的な論理が世界を覆っている。・・・・私達はこんなものを次の世代に渡してはならない。


 カトリックの総本山バチカンの法王が、ここ数年クリスマスごとに、強欲の人々に考え改め行動をすることを諭している。仏教とか神道とかイスラムの指導者からは、ついぞこのようなメッセージが発せられる事が無い。彼らは彼らの社会的役割に気付いていないのだろうか。・・・・・話が逸れた。


 地球がこれほど大きく傷つけられた事は決して無い。地球上に生きる多様な生物が今日ほど大きな危機に晒された事は曾て無かった。私達はそろそろ気付かねばならない。地球の危機や生物多様性の危機は間違い無く人類の生存の危機なのだと言う事を。現代を生きる者達だけでは無く、子や孫やリレーのバトンを受け取っていただければならない全ての人達の危機であることを。・・・・もし、それでも今のやり方や生き方を変えられないとすれば、それは最早モラルの危機、存在の意義そのものの危機といわねばならない。


 アグリパークZAOはほんの小さな力しか持ってはいないけれど、地球との共生を求めて今年一年努力していくつもりです。共感できると思う人は是非、サポート会員となって共に行動していきませんか。私は、人間は世界を変えられるのだと信じています。



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2013.01.28:agrizao:[Okuyama's Column]

舞い落ちる音

  • 舞い落ちる音

初冬と言うべきか、晩秋と言うべきか、その頃の或る日。
折り重なる山々の、紅葉も終わった落葉樹の葉が、一斉にかさこそ、さわさわと降るが如くに散って行く様。皆さんはご覧になったり、その散り降る音をお聞きになったりしたことがおありだろうか。それは正に冬への儀式、厳かな自然の儀式と言える光景だ。

私は67kmの道を、新しい職場へ通いだした最初の年の記憶として、しっかり胸に刻み込んで来た。それは、その降り敷く音は、運転している車の中にさえ確かに入り込んで来て、耳の中で、毎年その季節になると聞こえて来る。
理性的に考えれば、そのような事は有り得ない事と言ってしまえばそれまでのことだけれど、寝静まった夜に、シンシンと降る雪が回りの全ての音を吸収しながら、それでいて自らの舞い落ちる音を消し去ることが出来ない。私にはその音が確かに聞こえるのだ。

山の木々はすべての葉を落として長い冬の眠りに就く。適度の寒さが安眠の条件だ。落ちた葉は土の養分となり、雨や雪の濾過材となって、長い時間をかけて、清らかな水をもたらす。人間など大自然の営為の中では何ほどの事が出来るだろう。何と卑小なものかと、いつも思わされている。

夏の盛りの草や木々の圧倒的な緑。僕は長い距離、自然の真っただ中を通うようになった頃、ただ恐ろしく感じたし身震いさえした。本当に自然の力に圧し潰されるようであった。この地球の主人公は植物を中心とした自然そのものであり、それが傷つけられ活力を失って行く時、自然の死よりも早く人間そのものが滅びてしまう事は間違いない。

自然があってこそ、人間の存在が許されるのだ。私の自然との共生とは、そのようなものだ。


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2012.12.20:agrizao:[Okuyama's Column]