散歩【天童】
織田信長と関係のある神社が山形にもあったとは… カリスマですからねぇ~信長 ウィキペディアで調べたところ… 『織田信長の子孫で天童藩知藩事の織田信敏が東京の私邸内に 「織田社」と称して祀っていたが、明治2年(1869年)11月8日に 神祇官より「健織田社」(たけしおりたのやしろ)という神号が 下賜された。この健織田社を明治3年(1870年)9月13日に天童市 の城山(現 舞鶴山)山頂へ分祀したのが、建勲神社の起源である。 同年(1870年)10月17日、健織田社は太政官の通知により 「建勲社」へと改称し、太平洋戦争終結までこの名称は使われた。 明治17年(1884年)に現在地に遷座した。これは当初建てられた 舞鶴山山頂の社への道のりが急で転落事故が起きるなど不便が あったため、平坦な舞鶴山山腹に遷座したものである。』 とまぁ~こんな感じらしいです 『天下とれますように!』 とお願いしてきました(笑) まだ何とか平気な階段です これが10年後となったらキツクなるのかも?? 10代→20代→30代 衰えが如実に自分でもわかる今日この頃 永遠の若さを求めたい人の気持ちもすこーしばかりわかりますね^_^;
2011.06.06